TOEICの功罪
こういうサイトを運営していますとTOEICそのものへの意見もいろいろ聞こえてきます。私自身もそのことについてはいろいろなところでちらほらとは触れてきていますが、この辺で少しまとめてみましょう。
- TOEIC高得点を目指して精進する人から、TOEICなんていらないなんて言う人までいろいろな人がいますよね。あまりだらだらと文章を書くより私自身が思うところを功・罪、分けて列挙してみますと:
- まず罪から:
- TOEIC高得点が目的になってしまいがち - だから「楽をして高得点を狙えます」なんてものが商品になってしまう。そしてほとんどの人がTOEIC受ける頻度高すぎ。一年に1回で十分。
- TOEIC高得点が最終到達点と勘違い - 本当はその辺からがある意味、実戦でのスタートなのです。よって比較的初心者から上級者入り口までの指標と考えるべきでしょう。
- 就職などのアピール材料と勘違い - これは採用側の思慮の浅さも露呈していますが、そんなの意味ないことを採用・応募側も悟るべき
- 得点への異常ともいえる信頼感 - 50点くらい上下しても意味ないです。向上・低下を云々するには最低でも100点の差がないとね。
- リスニングでのしゃべりが標準英語すぎる - 世の中にでたらあのようにしゃべる人ばかりではありません。途端に聞けなくなります。以前、「TOEIC問題の人の声で録音した教材ですから試験でもばっちし」、という宣伝文句を見たときには唖然としました。
- では功はないのか?というとそれは別の話で:
- 初級〜上級入り口位までの上達度の指標としてはベスト - 4〜5段階の難しさの「合否」でしかみれない英検などに比べると、きめ細かくまたかなりリニアーに上達度を測れる。英検の級数が実力と比べて全然リニアーでないのはご存じの通り。ただこれは上限900点ぐらいまででそこまでいったら受ける意味はあまりありません。他のことをしましょう。
- 人気テストで受験者のn数が大きいので標準偏差(σ)的な精度がたかい - よってある程度の点数の差が出ればそれだけ上達していると見ることができる。しかし上述のように50点程度ではそのときの調子などもあり誤差範囲と見るべきでしょうね。
- 出題内容が平たい - 他のテストには妙に高尚な、世の中(英語の)にでても滅多に見ないような語彙を出題するものや、出てくるトピックがやけに「お高い」タイプの試験もありますが、ただ単にcommunication能力を測りたいという向きにはTOEICがベストだと思います。
- 上記はあくまでも英語を仕事や生活のツールとして将来実戦で使うために能力を磨きたい!という人の場合です。
- それ以外の学問的・文学的な興味を追求する人は当然別のことを考えます。ただそういう人でもTOEICで最低900点くらいのレベルまではこの手の平たいcommunication能力を磨いてから、その道に行かれているわけです。そこをとばしていきなり900点からスタートする人はいません。そしてその辺が、もう遙か昔に上級者になってしまっている人がTOEICは意味がないと言うのも違うかな、私が思う所以です。
- また、英語を教えることで飯を食っている人は職業上、少し違うことを言うかもしれません。